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JUKI株式会社「縫製研究所」が誕生したのは1959(昭和34)年11月、2009年の今年で満50年を迎えることになりました。 そこで、今年度のJUKIマガジンで、わが国アパレル生産業界とともに歩んできた縫製研究所50年の活動を振り返り、現状、そしてこれからをご紹介したいと思います。縫製研究所の生い立ちと具体的な活動のご紹介です。 <年表:JUKI縫製研究所の50年>
JUKI縫製研究所50年(クリックで拡大表示) |
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| 縫製能率研究所誕生のころ |
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JUKI(当時;東京重機工業)は戦後、工業用ミシンの開発を始め、1953年(昭和28年)に第1号機の高速回転天秤ミシンを発売した。そして、その拡販で縫製工場を訪問するが、そこで目にしたのは、いわゆる家内工業的な産業構造であり、お世辞にも近代的とはいえない工場運営であった。それまで、JUKIの製造工場として生産効率向上を使命と考えていた同社の社員にとって、そうした工場はムダの宝庫に見えた。「工業用ミシンを買っていただくことも重要だが、このカンと経験に頼った旧態とした工場運営を、データを基にした科学的な管理に基づくものにしなければ、縫製産業の将来はない」-そう考えたトップが翌年、社内で縫製生産システムの研究を指示、その成果を元に、工場近代化の支援を行う専門部門として1959年(昭和34年)に独立させたのが「縫製能率研究所」であり、これが縫製研究所の始まりである。 前年に、日本貿易振興会JETRO発足、1万円札が発行され、翌年には池田内閣の「国民所得倍増計画」が発表される…日本経済が高度成長の時代に入り始めたまさにそのタイミングであった。以後、わが国の縫製産業は急成長を遂げ、輸出産業の花形として外貨獲得のエースになっていった。 |
■昭和30年代:縫製能率研究所設立により日本縫製業界に「ジューキ・シンクロ・システム」が広く浸透し、縫製業界に高い生産効率をもたらす。同時に、縫製能率研究所による生産性向上支援活動は、顧客企業へのソフトサービスを行う斬新なマーケティング活動として、大きな注目を集め、活動を通じてJUKI工業用ミシンの拡販にも寄与する。
■昭和40年代:ミシンメーカー内にある業界初の「コンサルタント・チーム」として日本各地のアパレル生産工場の指導を実施。「管理者養成教室」などを通じて縫製業界の生産管理マネジャーの育成に大いに貢献、生産性向上に寄与する。
■昭和40年代:ミシンメーカー内にある業界初の「コンサルタント・チーム」として日本各地のアパレル生産工場の指導を実施。「管理者養成教室」などを通じて縫製業界の生産管理マネジャーの育成に大いに貢献、生産性向上に寄与する。
■昭和50年代:日本市場は多品種少量の傾向が高まり同時に、縫製業界向けに多くの生産システムが提案される。JUKIにおいてもJUSS(ジューキ・ユニット・シンクロシステム)を発表し、国内・海外に指導を実施。
■昭和60(平成元)年代:多品種極少量短サイクル生産の傾向がさらに強まる。縫製業界は少人数多能工化ラインで対応。QRS・Clothoシステムが発表され導入が進む。同時に人件費の高騰で、台湾・中国・東南アジア地区へ世界的な縫製産地の移動が進む。
■昭和60(平成元)年代:多品種極少量短サイクル生産の傾向がさらに強まる。縫製業界は少人数多能工化ラインで対応。QRS・Clothoシステムが発表され導入が進む。同時に人件費の高騰で、台湾・中国・東南アジア地区へ世界的な縫製産地の移動が進む。
■平成10年代:日本国内・先進国内縫製産地で縫製企業の減少が続く。反面世界的に縫製産地は人件費の安さをベースに移動し、東南アジア・中国に集中。特に中国は材料入手・人件費・縫製機械設備関連企業の増加等で、世界最大の縫製産地となる。縫製研の活動も縫製産地の移動に合わせてグローバル化。現在、日本のみならず、東南アジア・中国市場に専任のスタッフを配置し、キメの細かい生産性向上ソフトサービスを展開している。



JUKI縫製研究所50年



