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2008年12月、JUKI株式会社は創業70周年を迎えました。 1938年、JUKI株式会社は陸軍の小銃生産を行う東京重機製造工業組合として創業しました。戦後、工業用ミシンの分野に転じ、1953年に高速回転天秤を利用した本縫ミシンDDW-IIを発売して以来、工業用ミシンの開発と製造を進めてまいりました。 工業用ミシンメーカーとしての歴史も、55年目を迎えました。この間、皆様のご協力をいただき、おかげさまで、JUKIブランドもお客様に信頼されるブランドとして、世界中でご利用いただけるまでに成長することができました。 本号では、これまでお客様に育てられ、ご支持をいただいたいくつかのミシンを取上げ、JUKIミシン開発への取組みを振り返ってみます。 |
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日本の戦後復興が本格化し、家庭用ミシンの生産は年々急増。 単軸回転天秤の技術を開発し、1953年にJUKIは高速回転の工業用ミシン分野に進出する。以降、高品質・高生産性を目指して専門化した製品開発が求められ、次々と新機種の開発を進めていった。 縫製産業は、輸出産業の花形として米国への1ドルブラウスの輸出で産業基盤を作る時代であった。その後、繊維輸出規制、ミニスカートの大ブームなどを経て、日本の縫製産業は国内市場への転換を図る。 |
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エンジニアリングセールスの草分け 縫製能率研究所の誕生(1959年)
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縫製能率研究所(現縫製研究所)の設立は1959年(昭和34年)。輸出産業として産声を上げた縫製産業がこれから発展しようという時期でした。縫製能率研究所は、縫製工場に生産管理、IE技術を普及させることで、生産性の向上を支援する専門化集団として設立されましたが、その活動は、当時、日本能率協会、経営選書などでも取上げられるなど大きな話題となりました。 「ミシンメーカーがつくった縫製能率研究所 東京重機工業では昭和25年秋、工業用ミシンの基礎的研究に乗り出した。工業用ミシンというのは、いわゆる生産財の典型的な製品である。戦前、戦後を通じて、構造、性能ともアメリカ・シンガー社のミシシの性能にまさる製品は、製造することがなかなかできなかった。いかに舶来一辺倒の状態であったか想像いただけることと思う。東京重機工業では、新たにDDW-123 型が完成、性能もきわめて優秀なものだった。また、当時画期的なマーケティング戦略「縫製能率研究所」を設立したのである。 要するにユーザーの工場の要請によって経験のあるコンサルティングエンジニアを派遣し、現在手持ちの生産設備・人員での工程の合理化のための報告書を作成してあげるというのである。全国で約100件のコンサルティング要請があった。そのうち、リポートどおり生産工程を変えてみると100件のうち約50パーセントは同じ設備と同じ人員で、生産性は2倍に向上した。見事に東京重機工業は、製品の市場を国内に作り上げたのである。バーナード・レスターのエンジニアリングセールスをまさに日本的に行ったケースである。」(日本能率協会「経営選書」から(要約)) |
過酷な使用条件に耐える、高生産性の名機 Ai-1、ワイシャツ前立て穴かがり自動機(1968年)
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Ai-1/LBH-761(通称:ボタン穴かがりインデキサー)は、眠り穴かがりミシンLBH-760 の高い評価を受けて開発された自動機です。 作業者はワイシャツの前身頃をセットするだけで、前立て穴かがりを自動的に行います。1 人で3~4台を使うことが可能で、生産性は3~4倍に向上。時代は米国の縫製が最も発展していた時代で、Ai-1は、後進国の輸出攻勢から米国の縫製業界を守る有力な自動機にもなりました。 過酷な使用条件に耐える優れた頭部開発に加え、IE 技術を利用した操作性と生産性追求の研究が生み出した名機でした。 |
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1973年のオイルショックを機に高品質化・高生産性への要望が一層強まり、工業用ミシンは次第に自動機へと開発の中心が移っていく。JUKIもまた自動機開発に独自の技術を積み重ねていった。 「アパレル」の用語が一般的になり、ファッションの個性化も進む。国内市場の活性化で、縫製業界は本物志向・高付加価値の衣料品の生産へと向かい、他産業が低迷する中、DCブランドの出現などで、アパレルの驚異の成長ぶりが新聞紙上で報じられた時代でもある。しかし、バブル経済の崩壊とともに、流れは急転回し、価格破壊、中国への生産委託・工場進出ラッシュが続く。縫製業は海外進出と国内生産体制の縮小の時代に突入した。中国を筆頭に東南アジア諸国の成長はめざましいものとなった。 工業用ミシンは、コンピュータ・電子技術を取り込んだ多機能なミシンが開発され市場への導入が進む。国内では採用が難しくなり、技能を機械で代替する時代へと変わってきた。 |
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お客様の熱意が育てた エッジコントロールシーマー(1976年)
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通称エジコンで親しまれる「エッジコントロールシーマー(ECS)」は、上布、下布の布端をセンサーで感知し、上下のマミュピュレーターが縫い代を正確に制御して縫い上げる自動機です。 洋服で2枚合わせをする地縫いは、脇合わせ、肩入れ、パネル接ぎ、袖山の地縫い等、いたるところにあります。縫製品の素材(布)は千差万別で、開発に当たっては、試作機を使い、どんな工程で使えるのか?素材を替え、縫製工程を替えてのテストを行い、使用可能な工程や調整法などをマニュアルにして1976年に発売されました。 発表当時、東独ライプチヒ見本市でゴールドメダルを受賞。ボビン誌には「電子の目と頭脳による布端検知機能システムと指先にあたるローラーによって人間の作業を代替する機能を備えた価値ある未来の自動機」と絶賛されました。 しかし、縫い代は正確だが上下の布に縫いずれが出る、調整が難しいなどの声が次々と上がってきました。営業マンと技術担当はそうしたお客様のさまざまな声を聞きながら、お客様とともに対応策を検討し、しだいに改良が加えられていきました。 そんな中、今度は逆に、脇合わせが7秒で縫えた、生産性が格段にあがった、裏地の地縫いにも使える…など、次々にECSを使いこなす事例が報告されてきました。そうなると今度は「別の工程でも使えるのでは?」とお客様の中でも研究が始まり、多くのお客様とJUKIの営業担当者、技術担当者の試行錯誤を重ねた取り組みが始められ、みるみる利用範囲が広がっていきました。こうして、ECSは、高機能な自動機へと変貌し、国内で5000台以上も導入される名機へと成長していきました。 このエジコン、生みの親はJUKIでしたが、育ての親はお客様。 多くのお客様の熱意によって名機に育てられたものです。JUKIとお客様の間に信頼関係を残してくれた名機でありました。 |
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差動上下送りで新素材に対応。高付加価値製品作りに力を発揮 DLU-490シリーズ(1979年)
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エジコンの搭載頭部を汎用機として展開したのがDLU-490シリーズです。 世はまさに日本品質・高付加価値化などが叫ばれた時代です。 同時に素材開発の競争も進み、新素材をいかに高品質で縫製できるかが、求められました。 そんな中で、発売されたのが差動上下送りのDLU-490シリーズで、素材の対応力で大いに力を発揮しました。 さらに、異素材を組み合わせる際には送り込み、先引きのゲージが必要…などの要望があがってきて、工程にあわせたゲージセットが次々と開発されていきました。 縫製工場では作業者の高齢化が進行し、縫製技能の低下が問題視された時代です。ベテランの技能をサポートし、日本製衣料品の品質レベルを支援したミシンとして、活躍しました。 1980年代後半の新合繊素材のブームでは、素材の風合いはよいが、柔らかく縫いにくいなど縫製上の課題も山積の状況。DLU-490の機能、対応力が大いに発揮された時代、予想以上のヒットになりました。 |
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難しい、高い技能を求める工程作業を機械が代替した AZS-270(1988年)
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1984年の第1回JIAM展示会にプロトタイプを出品したところ、お客様の反響は大きく、開発に取り組んだものです。生産性もさることながら、ベテラン作業者の技術に頼る工程だけに、安定した品質のニーズが強く、柔らかな布との苦闘するテストの中から製品化にこぎつけた商品でした。お客様の要求は高く、開発をあきらめようかと考える時が何度もありましたが、そのたびに「JUKIさん待ってるよ」の声に背中を押された自動機でした。 販売展開後は多くのスカート工場で採用されお客様から満足いただいた機種のひとつです。母体となった技術は電子サイクルマシンのAMS-210。この電子化、XY駆動のサイクルマシンはデザイン変化や小ロットのオーダーでも生産性を上げられる設備としてお客さまに受け入れられ、幅広用途でのお客様の満足を獲得しています。 |
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日本経済はバブル崩壊後、長い不況に突入した。低価格競争が進むなかで国内の縫製工場は冬の時代に。中国の縫製業界が急成長し、世界の縫製の産地図を一変させる。2005年には長年のクォータ規制が排除され自由競争の時代に突入した。 ミシンは電子技術の進歩を機能に取り込み、糸張力の制御、ワンタッチで各種の縫形状を切替えられるなどの操作性向上の技術が開発され、縫製業界には「油汚れなし」の福音となったドライ技術などが導入された。近年は、「高技能の代替と高生産性を実現する自動機」の流れが世界の縫製企業に広がりつつある。新たなグローバルな競争の時代に入ってきた。 |
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縫製工場の福音、「油汚れなし」ミシンの展開 DDL-5700完全ドライ本縫いミシン(1996年)
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縫製作業の中で油汚れ不良対策は長年の課題であった。高速回転を求められる工業用ミシンに潤滑油は無くてはならない存在だが、同時に、製品の油汚れ不良を生み出す原因でもある。工業用ミシンが求める耐久性を満たし、縫製する製品には油を付着させない。 それを達成するための技術。潤滑油を含浸した材料の利用は可能か、コストはどうか?表面加工、潤滑剤の密封、微量の油をコントロールする技術などの研究、それらの技術を高速回転のミシンに組み込むための製造技術・管理技術などなど、クリアすべき課題は山積していた。 この二律背反の解消にJUKIは長い間取り組み、基礎研究の末に実用に耐えるミシンとして完成したのがDDL-5700完全ドライの本縫いミシンである。その後、ロックミシン、二本針ミシン、千鳥ミシン、閂止めミシン、穴かがりミシンと現在のドライシリーズにつながった。 「油汚れは解決することは出来ないもの」と考えていた常識を打ち破った1台であった。 ミシン管理は徹底しているが、素材によってはどうしても油汚れのトラブルをつぶせない。そんなお客様にとっては福音となる工業ミシンのデビューであった。 |
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人間工学の視点を追求したダイレクトドライブの先進省エネミシンDDL-9000D(1999年)
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縫製作業の動作分析から生れたスイッチ調整つまみ、糸が絡まない工夫を凝らしたプーリー、縫製作業者の動作を改善した大きなフトコロの設計…など、DDL-9000は人間工学の視点から機能を見直した結果誕生した新しいフォルムのミシンです。 ミシンのベットサイズを変更するとこれまでの生産設備が使えない。 しかし縫製作業者はポケット付けなどの縫製工程では、やりにくそうに身頃を回し作業をしている。 一方モーターなどの電子部品の小型化高機能化は前進している。 今できる最も使いやすい、作業者に喜ばれるミシンはどんな形だ? どんなことに作業者は困っているのか?…このような議論と調査を重ね、少しずつミシンの形ができ上がってきた。 1969年、故障が少なく安定した糸切り性能を誇った、初の糸きりミシンDDL-555-2の開発から30年、技術の蓄積は使いやすさと省エネルギーを両立させる新しい糸切りミシンに進化しました。必要なときにしかモーターは回転しない、ベルトのエネルギーロスが無いなど、頭部に使われたダイレクトモーター技術は、環境に優しい技術でもあった。 2008年10月、DDL-9000Aシリーズではグッドデザイン賞を受賞しました。 |
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アパレルの未来に向けて 東京重機製造工業組合として誕生して70年、工業用ミシンを生み出して55年、半世紀をこえました。 弊社の歴史は、お客様にご満足をお届けする奮闘の歴史でもあります。その一端を、特集のなかで開発秘話としてご紹介させていただきました。どの製品も、お使いいただくお客様の声に後押しされて生み出されたものです。JUKIのこのお客さまとともに歩む姿勢は、これからも変わりません。 アパレルのよりよい未来に向けて、JUKIはさらに精進を続けていく所存です。 今後とも、一層のご愛顧、ご鞭撻をお願い申しあげます。 |























