アパレル産業の裾野は広い。紳士服の内側や作業服のポケットなどへのネーム刺繍もその一つ。規模は小さく、ほとんどが家内工業だが、無くてはならない業種だ。近年、高齢化が進み、後継者難から廃業も多いが、機械化で生き残りを図るところもある。今回はその中で内海刺繍店(東京都小平市上水南2-14-7、内海祐司代表)を紹介する。JUKIのAMSを使いこなしている工場だ。
ネーム刺繍でAMSが活躍
JR国分寺駅・北口から歩いて約10分、通りに面したレンガ作りの建物に「内海刺繍店」の看板が目に入る。玄関を入ると、いきなり作業場で、内海芳夫氏、祐司氏の親子がネーム入れ作業の手を休めて迎えてくれた。狭い作業スペースにJUKIの新旧の電子サイクルマシンAMS2台をはじめ、バルダンの刺繍機、ラバー圧着機、コンピューターなどがぎっしり。2年前に子息の祐司氏が会社の代表になっているが、間もなく70歳になるという芳夫氏もれっきとした現役だ。
内海刺繍店は1967年(昭和42年)、芳夫氏が横振りミシン1台で開業。紳士服の見返し、作業服のネーム入れを主力加工としてスタートした。その前の10年間、都内で修業時代を過ごした。その頃、親方は日本刺繍で手でネームを縫っていたが、芳夫氏は「ガッタガタのシンガーの中古ミシンでネーム刺繍の仕事をしていた」。 独立当時のネーム付けはオーダーの紳士服が多く、仕立てる前の見返しにネームを入れた。自分で洋服屋さん回りをして仕事を取った。あとは紳士の既製品。既製の場合は後付けで、店まで背広を取りに行き、お客さんの名前を入れた。数は少なかったが作業服も入ってくるようになった。作業服は胸ポケットの上に会社の名前を入れる作業だ。現在、ネーム入れは作業服とスポーツ関係が中心。他にクラブやサッカーの圧着の仕事もある。受注先は作業服販売店、スポーツ店、学納業者、武道具店などである。
機械の導入は、開業時の67年に横振り1台を入れたあと、バルダン刺繍機の2頭式を78年、6頭式を81年に入れて作業服のネーム入れ加工の増加に対応した。作業服はその後数が減り、「うちの商売では6頭もいらない。2頭か4頭で十分」(芳夫氏)という状況になった。作業服の小ロット化と柔道着刺繍に対応するため2007年、1頭式(エリートIII)を入れた。
「きれいに早く」の要望に対応
JUKIのAMSの導入は93年(平成5年)のAMS-212Cが最初。学生服の個人名入れを機械化するのがねらいだった。そして今年(2009年)、AMS-210Eを入れた。学生服の個人名入れの増加に対応するのがねらいである。裏を返せば、AMSがなくてはならない機械になっていたのである。古くなったとは言え、AMS-212Cは新機種に負けない戦力。特に芳夫氏にとっては愛着があるようで、ほとんどこの機械の前に座っている。「枠の取り外しとかが楽だし、悪いけどこっちの方が何をするにも便利」と芳夫氏。それもそのはず、ソフト会社コンピュコンジャパンの代理店でもあるコスモス(本社・東京都北区)の伊藤祐二社長に相談して刺繍時に紙を挟む「下板」を作ってもらうなど、使いやすいように改良したり、一部の装置を取り外したりしている。「使う身ではないから、作っている人にはわからないよね」というJUKIの開発者への苦言も嫌みには聞こえない。
新しいAMS-210Eについてはどうか。「学販が増え、1台じゃ休むヒマがないから、やっぱり2台あると違う」と、芳夫氏は新機種に目をやる。祐司氏は「新しい方がやはり字はきれいに出る。こちらは記憶媒体がフラッシュメモリーで999人分のネームの管理・保存が出来るが、古い機械はフロッピーで99人分。情報を伝達するのがやはり優れている」と話す。「使い慣れてきた。特に防寒服などは、刺繍機だと枠をはめないといけないが、厚手なので枠がはまらない。AMSはエアーで押さえられるので便利。九割は急ぎの仕事。日本人は、きれいで、速くて、安くないと納得しない」と祐司氏。規模は小さくても、しっかりと自分の居場所を確保している。 |
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| 都内小平市にある内海刺繍店 |
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| 導入間もないAMS-210Eが大きな戦力になってきた |
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| 93年に入れたAMS-212Cも現役で活躍 |
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| 独自に作ってもらった「下板」で使い易 |
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| 文字データ作成をデモする内海代表 |
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