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わが社のモノ作り戦略 第7回

スタ・ディア代表取締役 後藤 昇氏
スタ・ディア代表取締役
後藤 昇氏
スタ・ディア
代表取締役 後藤 昇氏

 東日本大震災から1年が経過した。この大震災の最大被災地が宮城県石巻市で、同市にある婦人服工場「スタ・ディア」も地震と津波で大きな被害を受けた。同社は後藤昇社長が地元の縫製企業に勤めた後、11年前に創業した会社で、被災時は約30人が働いていた。従業員の中には家を流され、家族を失った人もいたが、後藤社長は従業員や取引先の全面的な応援を受けて再開を決意する。同じ石巻市内だが内陸部に工場を移転、設備面ではJUKI販売などが協力し、昨年7月25日から再稼働を始めた。後藤社長は「もともと人の輪を大切にしてきた会社ですが、震災後はより団結心が強まっています」と語る。


大震災を乗り越え、いち早く工場再開

移転した新工場で着実に復興を果たすスタ・ディア
移転した新工場で着実に復興を果たすスタ・ディア

スタ・ディアで頑張っている皆さん
スタ・ディアで頑張っている皆さん

薄物がメーンのため高速電子眠り穴かがりミシン「LBH-1790S」を導入
薄物がメーンのため高速電子眠り穴かがりミシン「LBH-1790S」を導入

震災後も活躍しているセミドライヘッド高速オーバーロックミシン「MO-6704D」
震災後も活躍しているセミドライヘッド高速オーバーロックミシン「MO-6704D」
―大震災から1年が過ぎました。
 今年3月11日は日曜日でしたので、12日朝全員で黙祷しました。この間、取引先からは仕事の面で支援をしてもらい、激励の訪問もして頂いた。石巻市で再開を目指している工場ということで昨年4月にテレビニュースで放映され、見知らぬ人からも励ましの手紙や義援金を頂きました。応援して頂いた皆さんに本当に感謝しています。1年前のあの時はもちろん作業中で、最初ぐらぐらっと来て、地震だと言っているうちにだんだん大きく揺れ、シャッターを開けて外に出た。工場の中を見るとゴミやほこりが舞って真っ白で電気コードなども落ち、残っていた女性達はミシンの下に潜っていて、中には腰を抜かした人もいたようです。とりあえず揺れが弱まってすぐに向かい側にあった広い駐車場に全員を避難させ、工場はもうメチャメチャだったし、社員も家族が心配と言うので帰宅指示を出したんです。ただ、車のラジオからは大津波警報が流れていて、海沿いの人には気を付けて帰るようには伝えたのですが、正直なところ市内まで来るとは思っていなかった。私は工場の電気を消して鍵を掛け、みんないなくなったのを確認し、中国人実習生3人を車で寮に送るため帰り出すと、最初の信号で海側から逃げてくる人たちに出くわした。道路はもう大渋滞で、向こうを見ると車や家が流されている。それで近くにあった5階建てマンションに実習生と一緒に上がり、見ていたら水がどっと押し寄せて来た。後で知ったのですが、向かっていた地域ではたくさんの人が亡くなっていました。生き残ったのは偶然ですね。

―その後は。
 マンションには私たちだけでなく、近所の人たちが逃げてきて、持ち主の方から開放して頂けた1部屋で30-40人が一晩過ごしました。翌日朝になってもまだ浸水した状態でしたが、近くにある幼なじみの家が大丈夫だったので実習生を連れて行き、そこに2泊3日世話になった。その友達とは実家が涌谷町の隣同士で、水が引き始めて2人で帰った。家に辿り着いたのは4日目の朝で、その間は誰とも連絡が取れませんでした。自宅は地震や津波の影響はなく、車で実習生を迎えに行って寮に送り届け、工場から従業員名簿を取り出し、電話で安否確認を始め、最終的に全員の確認が出来たのは10日後くらい。結果的に家族が亡くなった人は4人、家を失ったのはそのうち2人いましたが、幸い従業員で亡くなったりケガをした人はいません。工場は建物だけ残っていましたが、床や壁、電気系統それと機械が全部ダメ。もともと経営はオープンにしてやって来たので、従業員を集めて今後について話し合うと、社長がやるのなら一緒にやりたいとほとんどの人が言ってくれました。それで再開に向けて動き出し、ハローワークで相談して解雇しないで済むように雇用調整助成金を申し込みました。再開資金は取引していた石巻商工信用組合と、日本政策金融公庫の2カ所で融資が決まり、移転先もその間に探し、税理士さんが紹介してくれた元ドラッグストアの建物を借り受けた。現在、工場がある石巻市広渕字焼巻は以前の石巻市大街道東4丁目にあった工場から10km、津波が押し寄せた地域からは5kmくらい離れています。


取引先、従業員の支援を受けて

―被害の影響は。
 床下から1m20-30cm、ちょうどミシンのテーブルくらいまで浸水しました。だからミシンはモーターと電子関係がほとんどダメになり、JUKI販売さんに持ち込んで1台ずつチェックし、直せるミシンは修理してもらい全面的に協力して頂きました。ただ、高額設備が浸水の影響を受け、いずれも必要な設備のためCAM、芯張りプレス機、検針機と、ミシンでJUKIの自動サージングマシンと高速電子眠り穴かがりミシンは買い替えました。

―再開を決断したのは早かったですね。
 みんなで話し合ったのが3月終わりで、工場の場所が決まったのは4月半ばでした。資金は6月2日に入金があり、それまでに全部段取りした。工場は新たに窓を取り付けたり、床を張り直したりする必要があったので、発注がもう1週間遅いと資材が入ってこなかったと建築屋さんには言われましたね。工場の改修は六月末に完成したのですが、CAMの納入が7月15日で、JUKI販売さんには7月10日からミシン関係の設備を搬入してもらい、7月25日からスタートしました。


石巻市で被災した婦人服工場

―スタ・ディアは創業して11年目ということですが。
 親父が涌谷町で仕立て屋をやっていて、私は昭和33年11月生まれで、高校を卒業後、東京の日本洋服専門学校で2年間学び、井上勉先生のテーラーで5年間丁稚奉公したんです。こちらに帰ったのは、母が豊里町(現・登米市)にある縫製工場に勤め、その会社が2つ目の工場を作る時に呼ばれた。それが28年前の25歳の時。その会社に17年間お世話になり、平成13年6月に独立したわけです。石巻市蛇田で妻と2人で始め、手狭になったので平成19年1月から工場をお借りして移った。それが昨年被災した工場で4年半いました。

―現在の従業員数は。
 昨年3月11日の時は私と家内を除き、従業員は中国人実習生3人を含め31人でした。実習・研修生は最高で9人いましたが、3年前から研修生の受け入れを止めることに決め、震災時にいた3人は昨年10月に帰国する予定だった組で、震災直後に帰国しました。震災後、免許がなくて通えなくなったり、男性社員で元の大工の仕事が忙しくなって辞めたりして計5人が退職。31人のうち8人がいなくなり、新工場は23人でスタートしましたが、7、8月で5人を新規採用し、現在は28人で、プラス私と家内です。

―婦人服を生産しているんですね。
 仕事は住金物産の子会社のファッションネットが一番多く、取引先はそのほか数社あります。丸抱えの外注先が3件あり、こちらですべて裁断と仕上げをしています。社内はワンピース、ブラウス、スカートがメーンで、外注でコート、ジャケット、ブルゾンなどを縫製している。社内はどちらかと言えば薄物が得意なことと、小ロット・短サイクルに対応出来ることが特徴です。社内の縫製部門は3、4人が1班で4グループあり、月に多い時で約80品番こなします。もう1つは経営をオープンにしていますので、加工賃も全員分かり、グループの目標も自分たちで計算します。だから周囲からは雰囲気が明るいとよく言われます。

―再開するのに不安や迷いはなかったのですか。
 私自身は自宅や家族が大丈夫だったので、一番最初に考えたのは従業員のこと。工場を止めるという選択肢は頭に浮かばなかった。地元で商売している友人が結構いますが、再開すると話したら驚く人が多かったですね。独立後10年間で設備類も相当集まりましたが、借金もそれなりにあり、あと5、6年やれば完済出来るという状況だったんです。今回それと同額の資金を借りたので"二重ローン"の状態です。資金的には厳しいでしょうが、取引先さんと従業員が残っているというのが一番心強かった。あとは頑張ってどこまで挽回出来るかということで、5年で終わる借金が、10年間になっただけと思えばそれはそれで良いと思っています。

―現状はいかがですか。
 私たちがいた大街道の通りには車とかが重なっていましたが、そういうがれきはなくなっています。でも、ちょっと海側に入ると雰囲気が全然違う。がれきはまだあるし、地盤沈下して復旧にはほど遠い感じです。幸い、私たちは小さいながらも取引先さんからは国内の中でもメーン工場に考えて頂けているので今年になってからは仕事量も増えています。社員もだんだん平常に戻って来つつあるという感じです。家族を亡くした社員も、最初はもう仕事が出来ないと言っていたのですが、だんだん日月が経過するのに連れて落ちつき、やはりみんなと一緒にやりたいということで結局最初から来てくれています。大震災を一緒にくぐり抜けてきたという気持ちがあるので、パートの人でも納期の状況などで積極的に協力してくれるし、ここ一番の団結心、モチベーションは、震災前よりはちょっと違ってきた。もともと人の輪を大切に会社作りをしてきましたが、それがもっと強まっていると思います。
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自動サージングマシン「ASN-690」が活躍
JUKI販売が全面協力


震災後に買い替えた自動サージングマシン「ASN-690」
震災後に買い替えた自動サージングマシン「ASN-690」
 東日本大震災の地震と津波により工場が壊滅的な被害を受けたため、移転して再興したスタ・ディアの後藤社長が、再稼働にあたって「どうしても欲しかった」という一機種が自動サージングマシンでした。従来から身頃のロック掛けに活用されてきた設備で、再スタートに伴いJUKIの「自動サージングマシン」(ASN-690)を導入されました。
 ASN-690シリーズは、シンプルで使い易さを追求した超高速サージングマシンです。様々な形状をした生地の縁かがり縫いを行うサージング工程に高速で対応する当機は、定評のある高速オーバーロックミシン「MO-6904S」を搭載しており、高生産性と安定した縫い品質を実現します。
 特長は次の通りです。

  • 超高速オーバーロックミシン「MO-6904S」を搭載
    最高八千針/分の高速性能を実現し高い生産性をご提供します。素材に合わせた縫い対応力、低テンション縫製、カーブ縫いでの縫い外れのない安定した縫い品質を実現します。
  • フレキシブルな布ガイド
    布ガイドは工具を使用せず素材に応じて簡単に高さが調整可能です。スぺーサー交換などの煩わしい手間も省けます。
  • ルーパークリーナー
    切り屑の溜まり易い上ルーパー腕部に埃集塵機構を標準装備。布屑カバー内に埃が溜まり難くなりました。
  • 微量押さえ上げ装置
    生地の厚さに合わせる微量押さえ上げ装置を標準装備しており、パッカリングや素材傷を防止し、高い縫い品質を実現します。
  • エアブローテーブル
    三カ所のエアノズルからエアを噴出し、縫製中の素材の流れをスムーズにします。
  • 使いやすいスタッカースイッチ
    スタッカーはシーム数で自動的に動作します。また、大きく押し易いマニュアルスタッカースイッチで動作させることも出来ます。
  • 製テーブル
    縫製テーブルは、ロングテーブル仕様とショートテーブル仕様の二種類を設定。縫製物や工場のスペースに合わせて選択いただけます。

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