当社は、エミネントの自社生産工場で、昭和四十四年(一九六九年)八月に松浦工場を操業し、四十九年に田平工場、六十年には星鹿工場(当時システムコントロールセンター)を立ち上げました。その後、田平工場は閉鎖し、現在、生産は松浦工場だけで、星鹿工場は裁断業務と物流業務を行っています。
資本金は六千五百十万円、年商は属工ベースで約十五億円。社員数は二百五十人で、そのうち松浦工場が二百二十人います。生産量は、二ラインでパンツが日産二千五百本、年間六十五万本です。
ご多分にもれず海外戦略をやらなくてはいけないということになり、七年前に大連に工場を立ち上げました。大連は完全に設備はうちと同じものを持っていっていますし、七年たち遜色ないようです。他に日系の縫製メーカーさんに協力していただいています。
当社は形態が違っていて、工場で営業部門を持ちません。OEMも一部やっていますが、工場で営業活動をして取ってくるというものではありません。しかし、今は営業を含めて製販の同期化、一体化を推し進めています。営業だけ、また工場だけでは今の時代はやっていけない。営業も工場を生かしてもらうし、私どもも営業をフルに活用するというような、トータル的なことをやっていく必要があります。
海外との共存をどのようにしていくか、難しい問題はありますが、国内は国内で生き残る策はまだあるのではないかと思っています。昨今の状況を見てみると、少しずついいものへの志向が復活しているのではないかと思います。うちの高級ブランドはさほど値崩しはしていません。そこを今後どう展開していくかということが一番ですし、営業にもうちの有利さをもう少しアピールしてもらわないといけない。高級ゾーンは、従来やってきた作り方で十分対応できる部分があります。納期的にも、量販など商談が遅くなり、納品を間に合わせるためには、国内から工場が消えることはまずないと思います。いま騒がれているパターンオーダーでも、皆さん一週間とか言われていますが、うちはオーダーを受けてから二日で上がってしまいます。実際に二日で納品しました。別個にラインを作らなくても、管理上の問題で十分対応できます。
最近、我々も目指さなくてはいけないと思っているのは工場のブランド化です。営業が企画するというのもありますが、工場発信の独自の生産者ブランドというものも今後は必要で、OEMと並行して自社の工場ブランドも視野に入れていかなくてはいけないと思っています。人まねではいけないし、独自の付加価値をつけていく。具体的に難しい問題ではありますが、日本の生産工場、特にパンツは少なくなってきたので、そういうことも考えていけば面白いことになるのではという気がします。OEMは、先方のお客さんから言われた通りにしか作れない。おかしいと思いながらも、やらなくてはいけない。しかし、逆にいいところもあります。OEMを受けるほど、工場は情報を入手できる。その面では営業企画に比べたら、逆の意味で情報収集できる立場にあります。自分の所で考えて、デザイン、ディテール、機能的なものを提案して自分の所で提案したらいい。
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営業―工場をボーダーレスに
工場としては『SUN SUN計画』を進めています。これは数字の三と太陽とを引っかけたものです。中期三カ年で三年間に一回くらい改革を繰り返していますから、一つの単位が三年だろうと。Sはサバイバル、生き残りです。Uがアンダスタンディング、つまり知力を結集して生き残っていこうと。Nはネクスト・ジェネレーション、次につながるものでなければならないということ。工場は受けたものを作ればいいのだということではなく、在庫にしても期中生産ももっとボーダレスにして、営業から工場までの風抜けをよくして無駄を省こうとしているところです。『SUN SUN計画』の中で、来年の三、四月をめどに全量ワンウイーク体制に持っていこうと思います。
モノ作りについては、イタリアを鵜呑みにするわけではありませんが、モノ作りにこだわりを持つところは持つ。合理化、機械化出来るところは徹底して機械化する。カジュアルであっても基本とするところは同じです。カジュアルだからこだわらなくていいいかというとそうではない。三十五年間ここで培ってきた技術の上に積み重ねていくべきであって、これを全部除外してカジュアルラインを引くということではない。型紙とかいろいろ営業が企画していますが、この部分は別として、縫製の中身はそうあるべきではないでしょうか。 |